実はみんな頼まれごとが好き。読本メモ「人に頼む技術」

 

 

■頼み事をされた人には、「イエス」と言われなければならないという、心理的、対人的なプレッシャーが大きくかかっている。
そしてこれは頼んだ側にとっては感知しにくいもの。

面と向かって助けを求めると、相手がそれに応えてくれる確率はもっとも高くなる。助けを求めてきた人が目の前にいると、それを断るのが気まずく、社会のルールに違反するという感覚が大幅に強まるから

一方、電子メールなどを用いて間接的に助けを求めた場合は、直接的に助けを求められた時のような抵抗は示さない。それなのにこれを考慮せずに間接的な方法をとろうとする人が多い。

■嫌な印象を抱いている人の頼み事に応じることで、その相手への印象が薄れます。さらに、大きな頼み事に応じると、その相手が良い人のように思える効果が生じます。
認知的不協和の作用によって。

■助けを求めることで相手から良くない印象を持たれるかもしれないと心配する理由はほとんどありません。

■人から好意や誉め言葉、サポートなどを与えられそうになったときには、たとえそれが必要ではなかったり、プライドが邪魔したりしても、受け入れることを検討すべきです。なぜなら相手は、与えることを通じて、ますますあなたに好意を抱いてくれるようになるからです。

■誰かを助けるのに、高尚な目的は不要です。道を教えたり、並び順を譲ったりといった些細なことでも幸福感は高まります。

ただし、生活の質を大幅に向上させたいのなら、他社のためにお金を使うことです。

自分のためではなく他者のためにお金を使った人たちのほうが幸福感が高く、金額の多寡は幸福度に影響していませんでした。

■助けを求めることは、その相手に長期的なメリットを享受する機会を与えることでもあるのです。助けを求めないことは、むしろ利己的な行動だとすら言えるかもしれません。

■コントロールされている と感じさせるものは報酬だけではありません。脅威や監視、期限、プレッシャーなども同じです。これらによって、自分の意志で自由にその行動をしているように感じにくくなるからです。

■あなた自身が助けや支援を必要としているとき、自分が思っているよりもはるかに周りにはそれが伝わっていない。だから、面と向かって、ちゃんとお願いすることが大事。

何を求めているのか、どの程度の助けが必要なのかを詳しく、はっきりと説明する。

求めていたものとは違っても、相手の助けを受け入れる。

■謝りながら頼み事をすると、その人とは同じチームに所属していないような感覚が生じる。持ちつ持たれつの助け合いをしている人間なら、助けてもらうときに謝る必要はない。

謝ると、同じグループにいる、というアイデンティティが希薄になり、お互いの間に距離が生まれ、一体感が損なわれます。

■頼み事を小さく見せかけることで、得られる助けも、助ける側と助けられる側が感じる暖かい気持ちも小さくなってしまう。

 

ということで、今回のKeytakeaway

基本的に頼まれる側は、断ることを避けたいし、助けることで幸福感も得られるから、助けたいと感じている。

だから、誰にも助けを求めない人というのは、誰にも助けるチャンスを与えていないという点で、利己的な行動といえる。

ただし、頼まれる側がコントロールされている感 を抱いてしまうと、幸福感は得られない。

頼むときには、謝りながらとか、内容を過大・過少に伝えたりとか、ニンジンをぶら下げたりとかせずに、相手が騙されているような感覚を持たず、かつ自発的に助けたいと思うことを妨げないようにお願いする。